コモン・センス

給料を頂く、小遣いを頂く、ギャンブルに勝つ、詐欺を行うなど、様々なプロセスを経て自分のもとにお金がやってくる。「金を生み出す」、そんな言い回しがある。もちろん女性が赤ちゃんを生むように体内からお金を出生するわけでは無いし、作曲のようにメロディーやリズムを組み合わせて時間軸でぶった切り、作品を形成するわけでもない。合法的にフィジカルな物として作られる場所は決まっていているから、入手するためには個人や法人の所有しているものを自分のもとに引っ張ってこないといけない。そのほとんどのプロセスは条件付きで、労働であったり、賭けであったり、犯罪であったりする。「ほとんど」と言ったのは、例えば小遣いをもらうタイミングは不意にやって来る上に、特にこちらから等価と思える事物を差し出したりしないと思ったからだけど、やっぱり見ず知らずの他人には小遣いをあげたりしないから血縁関係(将来設計、人生に関わる重要な条件)を持っていたりなど条件はあるでしょう。

合法的に「稼ぐ」場合、全ての関係者は商人だと思う。直接的に営業をする所謂営業マン以外にもそこに関わる人全て。あるいは仕事の創造から自分のもとにお金が入るまでのプロセスを全て1人でやる場合も。会社内でPCと向き合って1日作業を終える人だって、自分の労働に金銭的な価値を見積もって売っている(雇用契約条件によって売らされている)。

僕は2年くらい小売りの営業職に就かせてもらっていた事がある。これが初めての営業経験だったから最初はわけもわからず、エンドユーザーに商品を売っていた。それから少しずつ時間が経ってお金の流れを考え始めた。上記のような事を。考え始めてすぐは窮屈な思いをし続けていた。自分のもとにお金を引っ張る事に初めて自覚的になったから、自分の器では受けきれなかった。小売りの営業はお客さんから直接をお金を頂くけど、それでも立場としては法人の仲介であってそこでの利益は100%自分のものではない。お金を頂く行為に対して見積もられたお金を頂く。ジレンマを感じる仕事だなと思った。お客さんからお金を頂く事を受け止め、さらにその行為を売りお金を頂くことを受け止める、これはどちらも身震いした手で器を支え続ける必要があると感じたから。せめて間接的にその流れに関われたら楽になれるかなぁと現実逃避を妄想していた。間接的というのは上記の内容でいう「関係者」にあたると思う。

まだまだ受け皿は小さいけれど、それでも当時よりは少しだけ大きくなった。ライブをする時にお客さんからチケット代を頂く。それを恐縮には思わない。自分たちのステージを見るために時間とお金を使って頂けたことに感謝して有難く頂く。自主制作のCDを買って頂けた時だって同じ。僕のやっているBird In A Cageというバンドは専属のスタッフはいない。ほとんどを自分達でやっているからライブや音源製作など要所要所で業界の人に助けて頂く時はある。ただ曲作りに関わるのはメンバー4人だけだし、ステージ上でパフォーマンスするのもメンバーだけ。こんな風に自分たちでゼロの状態から形にしたものにお金を払って頂ける事は身の回りで一番充実したお金の流れを感じる。やはり文字通り「お金を生み出す」事はしていないけど、自分達にとって「生きた」お金の流れを感じさせて頂いている。売る事の優先順位が一番高い曲やパッケージが作る事なんて全く興味は無いけれど、自分達の想いで形にしたものをどうしたらより多くの接点で迎え入れてもらえるか考えることは良い事だと思っている。お金を自分のもとに引っ張るプロセスを自分あるいは自分達で設計する事でもっともっと豊かな人生を送れると信じている。

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